ロボットの必要性を哲学する

会社は、一人ひとりの個性を求めているというよりも、
いかに、マニュアル通りに動く人間を確保するか・・・ということのほうを
重要視します。
ロボットで良いのですが、いかんせん、現実はそこまでロボットが開発されていないため、
人間で間に合わせようとしています。
精巧なアンドロイドが開発されれば、
人間を使わない企業も多くなるかもしれません。
たとえば、受付やウェイター、ウェイトレスなどは、
ロボットで十分です。
人間である必要性があまり無いとも考えられます。
書類作成や、事務、計算もロボットのほうが正確です。
逆に、人間である必要性がある職業は・・・となると、
スポーツ選手、宗教家、芸術家などの文化面を担う人たち、学者・・・でしょうか。
医者も、おそらく精巧なロボットのほうが完璧な診断が出来て、
完璧な手術も出来るので、人間である必要性が薄いと考えられます。
そうなると、お金という手段を考え直さねばならなくなるでしょう。
労働を提供してお金にする・・・という、今の方法は、
労働者を必要としなくなる社会においては、
通用しません。
誰もが等しく「生命」を維持するための恩恵を受け取り、
仕事はボランティアとなり、
生きがいや充実感のために、
そのために誰もが等しく生きることが出来る仕組みを哲学する必要があります。
| 心のメッセージ | 21:47 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑