自分のこと。

自分の子供の頃の記憶をたどると、
自分でも「私って変な子供だったにちがいない」と思います。
子供の頃に起こった出来事などを振り返ってみて、
分析すると、おおよそこういうことだったのではないか・・・とわかってきました。
それを、少し綴りたいと思います。
私は、生後数ヶ月で両親とともに交通事故にあいました。
交通事故の衝撃で、母の膝から放り出されたとき、
私は、車の床に強くたたきつけられました。
そのとき、頭を強く打ったはずです。
なぜなら、
そのときに口元が裂け、頬も数針縫う傷を負っているからです。
頭を強く打ちつけられた私の脳の一部は、機能を損傷しました。
高次脳機能障害。
事故の後遺症で、発達障害・・・となったのです。
幼少期の記憶が他人と比べて極端に少ないのですが、
思い出す記憶の中の私は、
周囲の子供たちと何かが違う・・・ということを常に感じている私自身でした。
何がどう違うかというと、
周囲に起こっていることが判断出来ないのです。
何をどうすればいいのかもわからないのです。
小さい子供がそばで泣いていても、
どうすればいいのか全くわからず、横で本を読んでいた私・・・。
自閉症・・・だったのでは?と、自分で分析するのですが、
母に言うと、確かに、小学生のときの担任から、
「あなたの娘さんは、自閉症かもしれません」と言われたことがある、と。
自分の世界にしか関心を示さず、
周囲の状況に気がつかない・・・のです。
ただ、それが、そんなにひどくないように見えたらしく、
「軽い症状?」と思われていたようなのですが、
なぜ、症状が軽く見えたかというと、
脳内で、自分の心と常に対話し、
常に治そうと努力していたから・・・です。
変な自分に気がついていたので、
子供心に、一生懸命治そうとしていたのです。
「何かが、違う」「私は変わってる」「どこかおかしい」
ほかの子供たちと何かが違うために、
学校でもよくいじめられました。
0歳から22歳まで、「変な自分」を感じながら、
脳の機能障害を治そうと努力をした結果、
(もちろん、0歳の記憶など残っていませんので、おそらく、という意味です)
普段なら使わないような脳内の電気信号を使っていたのではないか、と。
それが、23歳のときに、
留学という負荷を自分にかけることで、
完全に機能障害は治った、と思います。
なぜなら、日本に帰った私は、明らかに、以前の私とは別人になっていたからです。
責任感を認識できるようになっていたのです。
自分がしていることを周囲がどう見ているのだろう、、、ということに、
気がついたのです。
目が覚めた・・・というのでしょうか。
それと、同時に、目には見えない「何か」を知覚するようになりました。
これは、分析すると、
脳内の普通の人が使わない特殊な電気信号を22年間使い続けたため、
脳機能が完治したと同時に、
その電気信号が、別の用途に使われ始めたのだと思うのです。
それが、目に見えない世界の知覚のために使われ始めた・・・と、考えれば、
すべてのつじつまがあうのです。
もちろん、自己分析というのは、一番難しいので、
間違っているかもしれません。
でも、おそらく・・・これが正しいように思います。
人生相談に乗りながら、
目に見えない世界を分析し、その解明に全力を尽くしているのは、
発達障害を治すために使っていた脳内電気エネルギーが、
あるからこそ、なのです。
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