妄想について

恋人が浮気している。
これも、事実が確認できばければ、
たとえ事実であったとしても、
「妄想」と診断されます。
Aさんとつきあってるの。
これも、事実でなければ妄想です。
神は存在している。
これも、証明できなければ、妄想と診断されます。
そういう意味では、宗教のほとんどが、
妄想であると診断されます。
けれど、社会問題にならないのは、
神が存在している、という妄想が、
社会に貢献している・・・宗教が存在しているからです。
たとえば、キリスト教は、
神が存在している、という妄想を使って、
「愛し合うこと」を教えようとしています。
妄想が社会貢献している場合は、
病的だと判断されません。
霊界が存在している。
というのも、証明出来ないので、妄想と判断されますが、
霊界が存在している、という妄想でもって、
何か大切なメッセージを伝えるのであれば、
これは、病的だと判断されません。
実際、目に見えないもので、
証明出来ないものは、この世にたくさん存在します。
たとえば、
「愛」もそうです。
「愛」も、存在しているという証明は出来ません。
なので、妄想と判断してもおかしくはないはずですが、
「愛」という存在が、
社会貢献しているから、病的だと判断されないのです。
と、いうことは、つまり、
同じ妄想であったとしても、
善意から生まれた証明出来ないものは、
信じるに値し、
悪意から生まれた証明出来ないものは、
妄想と判断されるということです。
善意から生まれる発想は、好まれ、
悪意から生まれる発想は、疎まれるのです。
とはいえ、私は、
心は、この世だけを感じているのではなく、
この世ではないどこか・・・霊界・あの世と呼ばれるようなどこか、と、
つながっているのでは?という発想が本当かどうかを知りたくて、
研究・分析に励むのです。
| 心のメッセージ | 12:51 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑