愛について 2

人が人であるという定義が、
神に近づくことであるならば、
私たちは、「愛」を学ぶために生まれているということになります。
人が人であるという定義が、
理性を持つということであるならば、
私たちは、「欲望」をコントロールするために生まれているということになります。
人が人であるという定義が、
社会文化文明を築くということであるならば、
私たちは、「善意」を学ぶために生まれているということになります。
人が人であるという定義が、
過去においても現実においても、人類が実現していることならば、
その定義はとても現実的です。
けれど、人類がいまだかつて実現したことのない定義の場合、
それはとても非現実的です。
叶わぬ夢を追いかけているだけだとしたら、
それは、定義ではありません。
たとえば、「理性を持つ」や「文化を築く」などは、
実際に実現しています。
でも、「神に近づく」というのは、
実現出来ていません。
つまり、「神に近づく」というのは、
叶わぬ夢を追いかけているだけではないでしょうか?
つまり、「愛を学ぶ」というのは、
叶わぬ夢を追いかけているだけではないでしょうか?
私たちが日常生活で使う
「愛」は、いろんな言葉の意味を含んでいます。
「愛」そのもののことを言っているわけではなく、
別の言葉を「愛」という言葉に置き換えて使っています。
なぜなら、便利だからです。
慈しみ、大事に思い、可愛がり、与えあい、守り、、、、
という言葉を並べるのが面倒なとき、
「愛してる」という言葉に置き換えます。
そういう意味では、
「愛」という言葉は、万能ともいえます。
ただ、誤解してはいけないのは、
これは、「愛」そのものを表しているのではない、ということです。
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