心と思考
心はすべてを知っています。
心が見る希望、明るい未来を実現するためには、
思考というツール(道具)は欠かせません。
何でもそうですが、道具がさび付いていると、
良いものは出来ません。
余計な時間もかかります。
道具だけでは、形になりません。
何かを形にするには、
「作り手」が必要です。
「道具」が「思考」なら、
「作り手」は「心」です。
心が描くものを形にするためには、
道具(思考)が必要です。
ところが、
思考が作り手となった場合、
道具も思考ですから、
作り手=道具 ということになります。
思考は、もとから在るものではなく、
環境や教育・躾・訓練・センスによって育まれるものですから、
未発達・未成熟な思考が作り手となった場合、
どうなるかは想像出来ると思います。
思考を成熟させるには、
時間と努力と訓練が必要です。
もしかしたら、一生かかっても無理かもしれません。
思考は感情とつながっているので、
感情をコントロールする術を身に着けながら思考の訓練をしないと、
思考中にわきおこる感情に振り回されてしまいます。
思考と感情は切り離せません。
もし、切り離したとしたら、思考するロボットと同じです。
人が人である意味が失われてしまいます。
感情をコントロールするには、
思考するときに、
あらゆる方向から瞬時に考える訓練をしなければなりません。
たとえば、
「恋愛」について考えたとき、
成就したときの感情と、失恋したときの感情がわきおこります。
成就の感情を強く思えば良い、と人は言います。
けれど、実際は大変難しいものです。
恋愛成就を実現するために必要なことがたくさんあるので、
その感情を持続するのが物理的に大変難しいのです。
失恋の感情に振り回されると、
何を見ても、失恋に結び付けてしまいます。
失恋を実現するのは簡単そうに思えます。
優勝するのは難しくても、
負けるのは簡単そうに思えるものです。
実際、勝つためには努力が必要ですが、
負けるのは簡単です。わざと負けることも出来るからです。
でも、わざと勝つことは出来ません。
恋愛成就(勝つ)するためには、
どうすれば良いのでしょう。
どこまで努力をすればいいのでしょう。
勝ち続けるのには、どうすればいいのでしょう。
思いつくことを手当たり次第行動したとして、
どれだけの時間と労力が必要なのでしょう。
他のことをしている暇はありません。
ただひたすら恋愛のことだけを考え、
そのためだけに生きることをしなければ、
勝ち続けることは出来ないと思います。
そこで、この感情をコントロールするためには、
「恋愛成就しようと失恋しようと同じである」
という考えにいたります。
成就と失恋は結果が全く違いますが、
これを「同じである」という結果に結び付けなければなりません。
矛盾したものを何の矛盾もないところへと考えを結び付けるには、
大変な時間と労力が必要です。
考えが終わることはありません。
疲れて倒れるまで、
あなたは「どうすれば良いのか」を考え続けるでしょう。
思考が思考して実現する状態は、必ず破綻します。
では、
心が思考して実現する状態は、どうなのでしょう。
心は、最初から「在る」ものです。
訓練して身に着けるものでも、環境で育むものでもありません。
最初から存在しているものです。
なぜ、心は存在しているのか、
なぜ、心はすべてを知っているのかはわかりません。
それは、誰にもわかりません。
心が思考という道具を使って、現実を作っていくとどうなるのでしょうか。
それは、心にしかわかりません。
けれど、確信があるのは、
「心」はすべてと調和していて、
すべてを知っていて、すべてを受け入れているということです。
その心にすべてを預けたほうが良いと思いませんか?
心は誰もが持っています。
あなたにも彼にも彼女にも。
心を持たない存在はありません。
心こそが「在る」ものだからです。
「思考」は「心」を超えることは出来ません。
「思考」は「心」に勝てません。
「心」で「思考」すれば、
すべてと調和のとれた現実を作ることが出来るのです。
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