縁の法則 2

なぜ、宇宙は存在しているのか?
なぜ、私たちは生きているのか?
なぜ、私は私であって、あなたではないのか?
科学者や物理学者は、すでに存在している何かを発見して、
どのようにしてそれがここに存在するのかを研究しています。
けれど、どんなに研究してもわからない事があります。
それは、「存在しているということ」です。
存在するための法則や、経緯・経路は研究すればわかるでしょう。
けれど、
存在そのものを知ることは出来ません。
私たちがどうやって生まれてきたのかはわかります。
けれど、なぜ私たちが存在しているのかという事実は、
わかりません。
地球はなぜ存在しているのか?
私はなぜ存在しているのか?
私たちはなぜ一定の法則のもとに生きているのか?
嬉しいとか悲しいとかいう感情はどこから来るのか?
最愛の人を失うとなぜ悲しいのか?
好きなことをしているとなぜ楽しいのか?
当たり前のことではありますが、
最愛の人を失うと悲しくなります。
嬉しくなる人はいません。
感情がある一定の法則を持っていることは、誰もが知っていることです。
でも、「なぜ悲しくなるのか」、という根本的なことはわかりません。
失うと悲しくなるという感情の法則が存在している、
ということしかわからないのです。
同じように、なぜ「縁」が存在しているのかはわかりません。
「縁」は存在し、ある一定の法則を持っていることしかわかりません。
「縁」などこの世に存在しない、と考える人もいると思います。
すべては行き当たりばったりで、
たまたま偶然こうなったという事実だけが存在しているのだ、と。
自分の過去も現在も未来も、すべて行き当たりばったりで、
偶然の連続であると。
生まれてきたこと自体がギャンブルなのだと。
たまたま車のハンドルを右に切ったら、
たまたまそこに人がいたので、はねてしまったとしたら、
それも、単なる偶然の産物で、
たまたま不運だったね、と。
でも、たまたま不運だったことによって、
後悔しても後悔しきれないという人生を送ってしまうとしたら、
人生はなんとあやふやで、もろくて、危険なのでしょう。
でも、もし、存在しているもののすべてが、
偶然の産物であって、何の法則も持たないのだとしたら、
人は人としての形をしているのでしょうか?
人が人の形をしているのは、遺伝子の法則のもとに存在しているからです。
遺伝子が法則を持たないで存在していたら、
人は人の形をしていないでしょう。
人から猿が生まれたり、
人から犬が生まれたりしていることでしょう。
あるいは、とてもえげつない形をしているかもしれません。
人は見えるものだから、法則があるのだけれど、
見えないものには法則がないとしたら、
見えない「時間」が、過去・現在・未来アットランダムに存在していたとしたら、
あなたはここに存在していたかと思うと急にいなくなり、
いなくなったかと思うと一瞬にして老人になり、
老人になったかと思うと、一瞬にして子供になるというような
不可思議な現象が起こるに違いありません。
けれど、あなたも知っているように、現実はそうではありません。
時間は過去から未来へと法則に従って流れていて、
人は人であり、あなたはあなたであり、
支離滅裂な感情を持つことはありません。
私たちにわかるのは、法則が存在しているということです。
私たちがここに存在しているのは、
何らかの法則が働いているからです。
遺伝子が遺伝子であるための法則、
時間が時間であるための法則、
宇宙が宇宙であるための法則、
地球が地球であるための法則、
あなたがあなたであるための法則、、、、。
私は、それを「縁」だと思うのです。
その「縁」の法則を理解出来れば、
運・不運は行き当たりばったりということはなくなります。
「縁の法則」を上手に使えば、
運を引き寄せることも出来ます。
最善の道を歩むことも単なる夢ではなくなるのです。
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