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太陽の光・月の光 天使様のメッセージ

悩みを抱えている人の癒しの場になればと思います。天使様のメッセージをお届けします。

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美しさとは

 lotus flower8

 

新約聖書の中のマタイ福音書では、

とてもシンプルにまるで子供を諭すように、

美しい心でいるための心得が書かれています。

(原文のままではなく、簡単に要約しました。)

 

殺してはいけない。

人を罵ったり見下したりしてはいけない。

恨みを抱いてはいけない。

恨みを抱くものと和解しなさい。

そうしなければ、

死ぬまで、地獄の責め苦を味わうでしょう。

―「殺人と憤怒」より―

 

悪人に逆らってはならない。

求める者には与えなさい。

あなたから借りよう(奪おう)とする者に、

背を向けてはならない。

―「同害復讐法」より―

 

敵を愛しなさい。

あなたを責める者のために祈りなさい。

―「敵を愛せよ」より―

 

善い事をする時は、

自分でも気がつかぬくらいに

自然にやりなさい。

人に見せびらかすものではありません。

―「隠れた施し」より―

 

物質的な宝は、壊れたり盗まれたりします。

心の宝は、壊れたり盗まれたりしません。

あなたの宝のあるところに

あなたの心もあるからです。

―「天に宝を積む」より―

 

明日のことは、明日思いわずらえばよい。

その日の苦労は、その日だけで十分である。

―「摂理への信頼」より―

 

何事でも、人から自分にしてもらいたいと望む事を、

人にもしてあげなさい。

―「黄金律」より―

 

 

この他にもたくさんあるのですが、

日本の昔話や仏教の教えに似た内容なので、

抵抗なく受け入れられます。

どの時代でもどの国でも「美しい心」の有り方は同じです。

とくに、マタイとマルコ、ルカの福音書はたとえ話が頻繁に出てきます。

まるで童話か昔話のような感じです。

 

        神=美しい心      神でない=醜い心

 

ということを教えています。

また、「美しい心は、醜さに対して寛大である」 とも読み取れます。

 

ヨハネの福音書に見られるような、対極にあるものへの強い反発のようなものは感じません。

ヨハネの福音書は、「キリストの苦悩」を書いているのに対して、

マタイとマルコ、ルカの福音書は、どちらかというと、

「キリストの教え」「キリストの行い」を重点的に書いているからでしょう。

 

「神と神でない」=「美と醜」という二極性を、

「神はすべてを受け入れて許す」=「美は醜を受け入れて許す」という形で、

融合させようとしているのがわかります。

「美は醜を受け入れて許すからこそ、美なのだ。」

と、言わんばかりです。

 

醜を受け入れない美は、美ではなく醜である。

ということも言いたいのだと思います。

 

でもある意味、

醜は美によって、どこまでも限りなく許される。

そうだとしたら、美は醜を甘やかしはしないだろうか、という疑問がわいてきます。

それとも、醜は美によって受け入れられ、許されることによって、

美に近づこうとするのでしょうか。

 

真の目的は、

美とは何か、醜とは何かという二極性に気が付き、悩むことだと思います。

悩む事によって、高い意識への目覚め・移行につながるからです。

 

「敵を愛せ」と言われたら、憎い相手をどうやって愛する事が出来る?と悩むはずです。

敵は反発するものであって、決して、愛せる(すなわち一致・融合)ものではありません。

対極にあるものを愛しなさい、というのは、二人の主人につかえるのと同じです。

福音書のたとえの中にも、「二人の主人に兼ねつかえる事は出来ない」とも書いています。

明らかに矛盾していますが、

この矛盾が悩みを生み、高い意識を持つきっかけとなるからこそ、

たとえ話の中にたくさんの矛盾を散りばめているのだと思われます。

 

ちなみに、「敵を愛する」には、「敵・味方」という低い意識から離れる必要があります。

敵は危害を与えるものです。

まず、危害そのものが一体何なのかを考える事が出発点となるでしょう。

 

| 哲学するマタイ | 01:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑















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