神と人について
命を与えるのは「霊」である。
「肉」は何の役にも立たない。
という一説は、
人間としての存在価値を与えるのは、「霊・魂・精神」である。
「肉体」が人間であるからといって、存在価値を与えているわけではない。
とも解釈出来ます。
古来から人は、哲学に興味を示し、哲学という学問は発展しました。
初期の古代エジプトでは、紀元前5、6000年頃にはすでに
都市文化を持っていたと言われています。
超越した存在に関しても、
エジプト、ローマ、ギリシャ神話が存在していたことは、誰もが知っています。
キリストと神話の違いは、
神話では、神々と人々は切り離された存在として表現され、
「神である・ない」という二極性を持っていました。
古代エジプトでは、
神=王 神でない=庶民
という風に、神と神でない人々は、明らかに違っていて、融合していません。
キリストは、神と人を融合させようと試みたのがわかります。
「魂・霊の中に神が存在する。
だから、魂・霊の存在を意識しなさい。
魂・霊は、誰の中にも存在している。
それを無視する人は、単なる肉の塊(あるいは獣)にすぎない。」
それまでの神に対する見識は、神と人は分離された存在でした。
神は人間ではない 神と人は分離された存在
でも、キリストの見解は、
人の中に神が存在する 神と人は融合しようとしている
その当時、このキリストの考えは大変受け入れがたかった事が、
福音書の中にも何度も書かれています。
キリストは、「わたしの中で神とわたしが融合しようとしている」ことを、
幾度となく話しています。
その度に、「神は人ではない。あなたは人であって神ではない。」
と他の宗教関係者に責められています。
キリストは、神と人を融合させようとした公(おおやけ)の存在なのだと思われます。
ところが後世の人々は、
キリスト=神 キリストではない=神ではない
という風に、また、神と人を分離しています。
神をキリストにかえただけで、以前と同じように
神は人ではない (キリストは人ではない)
という二極性に戻っています。
キリスト者=神に近づく者 キリスト者ではない=神に遠い者
という二極性を持たせて、「神に近づきたいならば、キリスト者になりなさい」と言っています。
これは、キリスト自身も望んでいない方向だったかも知れません。
キリストが言いたかったことは、「神と人との融合」なのだと推測出来ますが、
(なぜならそれ以前は「神と人は分離している」のが常識だったので、
あえて、キリストがそれを「自分は神であって人ではない」と言うのは
不自然な気がするからです。
それこそ、「非常識でとんでもない嘘つき」というレッテルを貼られても仕方ないでしょう。)
周囲の宗教関係者は、このキリストの見解「神と人との融合」が広まると、
「神と人は分離している」というそれまでの常識がくつがえされることになり、
自分たちの立場が危ない、ということを恐れたのは想像出来ます。
| 哲学するヨハネ | 11:47 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑