真理を受け入れる
ヨハネ福音書の中の
「人間となった御言葉」には、
御言葉を受け入れない人々の様子が書かれています。
言葉による啓示・預言・真実・真理を人々は受け入れず、理解しようとしないのです。
真理を話そうとする人の言葉に耳を傾けようとしないのです。
真理は、高い意識を持っていないと理解出来ません。
あるいは、高い意識を持とうとしないと理解出来ません。
この世の二極性にとらわれるのは、人の性(さが)ですが、
低い二極性にとらわれると、意識はどんどん低くなります。
たとえば、「お金がある・ない」にとらわれると、
この世の幸せはお金がある・ないで決まるかのように思われます。
お金があれば幸せ、なければ不幸というように。
お金がある・ないがこの世のすべてで、
それがすべての価値を決めてしまうかのように思われます。
このような世界観の中で生きていると、
お金がある・ないなんてどうでも良い、という考え方はとうてい受け入れられないでしょう。
この世界観から意識を高めるには、
お金がある=満足・安定 お金がない=不満足・不安定
という図式から、
満足とは何か?安定とは何か?を考えることが出発点となります。
いかにお金を稼ぐかを考えるよりも、
まず、満足・安定・安心・幸せについて考えることで、
意識は自然に高まります。
結婚・独身、有職・無職、恋人がいる・いない、家族がいる・いない、
才能・無能、有権・無権、美人・醜人など
いろいろあると思います。
悩みは、この「ある・ない」=「幸・不幸」の二極性が原因です。
二極性は、低い意識レベルでは反発しますが、
高い意識レベルでは融合しようとします。
つまり、高い意識に近づくと、
「あってもなくてもあまり変わらない」=「幸せでも不幸でもない」
という感覚に近づきます。
このように客観的にとらえることが出来るようになると、
自然と悩みの解決案も思いつくでしょう。
低い二極性の苦しみから逃れる方法として、
その悩みから抜け出すための、悩みのすり替えという方法があります。
Aの悩みからBの悩みへとすり替えるのです。
こうすることで悩みAからは解放されます。
けれど、今度は悩みBの苦しみを感じることになります。
低い意識の中では、どこまでいっても悩み続けることになるでしょう。
悩みの根本的解決は、必ず真理の追究への道につながります。
まず、根本から悩みをなくしたい、と思うだけで、
真理を聞く耳を持っているということです。
| 哲学するヨハネ | 02:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑