道に迷う人のために 2
生きるために生きる人の根底にあるものは、「肉体の生」であり、
天に近づくために生きる人の根底にあるものは、「肉体の死」です。
天に近づく人は、一日一日肉体は「死」に近づくことを自覚しながら、日々を過ごしています。
ですから、魂や霊といった「死」という概念を持たない部分に重きを置き、
それでもって、「生」を表現しているのです。
彼らにとって「いかに生きるか」は、
「現実世界の崩壊」つまり「死」からどのように自分や他者を守るかと言う事です。
生きる人は、自分が現実に関わって生きている事を自覚しながら、日々を過ごしています。
ですから、現実世界を動かす事に重きを置き、
それでもって、「生」を表現しているのです。
彼らにとって「いかに生きるか」は、
「現実に関わること」つまり、今、自分が出来る事は何かと言う事です。
天に近づく人が、反社会的になると、
肉体の持つ死という苦しみからの現実的な解放という手段を選びます。
彼らにとって、肉体は苦の根源であり、
それから解放されることによって、安らぎを得られると信じられているからです。
生きる人が、反社会的になると、
肉体の持つ快楽への非現実的な執着という手段を選びます。
彼らにとって、現実は自分を中心に回っており、
現実を自分の都合の良いように転がすことによって、生きていけると信じられているからです。
私たちは、肉体も魂も持っていますので、
どちらの傾向も持っている事には間違いありませんが、
より強く求めるもの、より強く感じる方向があります。
人生の苦しみを強く感じる人は、天に近づく人です。
自分が現実を作っていることを強く感じる人は、生きる人です。
想像してみてください。
あなたに、絵具とキャンバスを与えられました。
あなたは、それで絵を描きました。それはなかなかの大作です。
あなたは、一番、誰にその絵を見せたいですか?
与えられた絵具で描いた絵を、人に見せて喜ばれたい人は生きる人であり、
神に見せて喜ばれたい人は天に近づく人なのです。
あなたに絵具とキャンバスを与えられて、
「人を喜ばす絵を描きなさい」と言われた時、
人を喜ばす事に違和感や無意味さ、喜びを感じない人は、天に近づく人です。
「神様を喜ばす絵を描きなさい」と言われた時、
神を喜ばす事に違和感や無意味さ、喜びを感じない人は、生きる人です。
つまり、人の存在に興味のある人は、生きる人であり、
神の存在に興味のある人は、天に近づく人なのです。
| 心のメッセージ | 02:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑