こころのうた 2

昨日のツイッターをまとめてみました。
岩は、嵐がきても吹雪になっても、びくともしない。
枯れることもない。
いつまでもかわらずそこにある。
強いってそういうこと。
四季折々で表情がかわる草花は、風がふくと散ってしまうよ。
はかないってそういうこと。
でもね、風にゆれる草花は、みる人を癒してくれるよ。
なにもかわらない岩に興味をもつひとはすくないよ。
わたしたちの体は草花のよう。
わたしたちの魂は岩のよう。
そこにあるのが当然だから、だれも気にしない。
でも、岩はそこにある。
たとえ、花々は風にふかれて散ってしまったとしても。
嵐がとおり過ぎていろんなものがなくなって、
はじめてそこにあったことに気がつくこともあるよ。
雨は一滴づつおちてくる。
かわいた大地をうるおして、
やがて川になって、
そして海になって、
そこに命がうまれたよ。
宇宙のはじまりは、とても小さかったよ。
でも、そこにはたくさんのものがつまってたよ。
だから、どんどんでっかくなって、
わたしたちも生まれたよ。
3・11・・・私たちは、自然の中で生まれ、自然とともに生き、
自然の成り行きで命さえも奪われていきます・・・。
自然と運命共同体であるという事実から目を背けるのではなく、
かといって、立ち向かうわけでもなく、
そういうことなのだ・・・とすべてを受け入れることも大切です。
同じようなことが起こったとき、
きっと、同じ過ちを繰り返したとしても、
それが悪いとか間違っているとかいうのでもなく、
教訓がいかされていないというのでもなく、
人は、自然と運命共同体であるという事実を受け入れる・・・。
奪われた命、のこされた命。
いろいろな思いが巡りますが、
きっと、命が感じたことはひとつ。
「自然とともに生きているんだ」ということ。
そして、その思いこそが、
すべてを乗り越え、今日を生きる糧となるのでは・・・と思うのです。
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