真理と空について
真理とは、何でしょう。
真理とは、情念・思念の中にはありません。
つまり、「真理」は人の心の影響を受けないところにあるのです。
人の心が物事(原因)を起こし、それが形(結果)となるのですが、
その形(結果)を細かく分離していくと、
ひとつひとつは別の意味を持っています。
簡単に説明すると、
たとえば、青色と黄色を混ぜると緑色になります。
青色も黄色も緑色ではありません。
でも、これを混ぜる(原因)と、緑色になる(結果)のです。
物事は、これに似ています。
ひとつひとつは別の意味を持っているのに、
それが何かをきっかけに混ざったり、合わさったり(縁起)すると、
さらに別の意味を持つのです。
混ぜる分量によって、同じ緑色でも、違って見えます。
混ぜるのは、縁(えん)という大きな力です。
混ぜる分量は、混ぜる人の心によって変化します。
これが情念・思念です。
混ざった緑色を見て、それがどんな緑色かを判断するのも人です。
「青色と黄色が混ざって緑色となる。」
これが真理です。
青色に近い緑色になるのか、黄色に近い緑色になるのかは、
その判断も、
人の心によるものです。
欲望が起こるのは、
「青色と黄色が混ざって緑色となる」という現実が受け入れられない状態です。
青色と黄色が混ざっているのを見て、「赤」だと言ってみたり、
「赤」でないことに腹を立てていたり、
「赤」にしたいと思っていたり、
「赤」だと思いこんでいたりするのです。
心のどこかで「赤」ではないと気がつきながらも、
「赤」だと思っていると、うまくいくはずはありません。
緑色を赤色だと信じ込んでいたとしても、それは真実ではないので、
どこかで緑色だという事に気がつくような出来事が起こります。
その時に、素直に緑色だということを受け入れた者は、救われます。
頑固に赤だと言い張る者は、トラブルや災難に見舞われます。
(仏教でいうところの) 空(くう)は、
青色、黄色、緑色、それを混ぜるもの、混ぜる場所(空間)、時間などが
バラバラになっている状態です。
空は、はじまりでもあり、終わりでもあり、その断片でもあるのです。
(仏教でいうところの) 色は、
バラバラのものが縁(えん)によって形となっていく状態です。
つまり青色と黄色を混ぜている状態です。
混ぜている状態ということは、緑色になっているような気がすると思いながらも、
ひょっとして赤色かも、白色かも、とか思っている状態です。
縁は、色によって形になっていったものの最終結果です。
つまり、青色と黄色を混ぜた結果、 緑色となった状態です。
人が誰かと「何かの縁」を感じているときは、何の縁かはわかっていません。
それが夫婦、恋人、友人などの最終的な形となった時に、
はじめて夫婦(恋人、友人など)の縁だったという事を知るのです。
最終的な結果ということは、終わりという意味を含んでいます。
人は、関係や物事が終わってはじめてその縁の意味を知るのです。
無は、空の前後にあるものです。
はじまりの前にあり、終わりのあとにある状態です。
つまり、すべての出来事は、
はじめに無があり、そして空となり、縁の働きで色となり、
やがて縁そのものとなり、空となり、また無にもどるのです。
これが「真理」なのです。
真理の追求は、空と色の因果関係を追求することと同じです。
私たちの目には、色しか見えませんが、
「色」のもととなる「空」と、最終結果の「縁」を知覚することによって、
真理を悟ることにつながるのです。
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