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太陽の光・月の光 天使様のメッセージ

悩みを抱えている人の癒しの場になればと思います。天使様のメッセージをお届けします。

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「永久欠番」中島みゆき

lotus flower50


中島みゆきさんの 「永久欠番」という曲の歌詞を、
私なりに解釈してみました。



「永久欠番」  原詩 中島みゆき




どんな立場にいる人も、

いつかはこの世に「さよなら」する日がくる

年功序列というルールには、

反則もある


人が一人、、また一人とこの世から消えた日も

街はいつもと変わらない

人々は、忙しそうに先へ先へと急ぐ


私がいてもいなくても、

100年前も100年後も同じ

何も変わりはしない

死んでしまえば

生きていたことが帳消しになるとしたら

とても淋しい


人が一人、、また一人とこの世から消えた日も

街はいつもと変わらない

「かけがえのないものなどないんだよ」

風が耳元でささやいた気がした


愛した人が座っていた席が

「からっぽ」になった日の朝

人はそれを見て

「誰もその席には座らせない」と誓ったはず

でも

その思い出を知らない他人は

平気でその席に座る


どんな記念碑も

雨風にさらされているうちに崩れていく

どんな人でも忘れ去られるもの

私の代わりはいくらでもいる

ここにこうして生きている私を

誰か思い出してくれるだろうか




でも

そんな私に宇宙が語りかける

「100億の人々が忘れても見捨てても

人生の背番号は

永久欠番だよ」

宇宙が語りかける

「人生の背番号は

永久欠番だよ」




「私なんて、いてもいなくても同じ・・・」

そう思って苦しんでいても、

もう一人の自分の声を聞いてごらん

「この世に同じ人なんて誰もいないよ

かけがえのない人生だよ」

と、笑顔で語りかけてくるから・・・。

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| こころのうた | 23:52 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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こころのうた 2

lotus flower109 


昨日のツイッターをまとめてみました。


岩は、嵐がきても吹雪になっても、びくともしない。

枯れることもない。

いつまでもかわらずそこにある。

強いってそういうこと。



四季折々で表情がかわる草花は、風がふくと散ってしまうよ。

はかないってそういうこと。


でもね、風にゆれる草花は、みる人を癒してくれるよ。

なにもかわらない岩に興味をもつひとはすくないよ。

わたしたちの体は草花のよう。

わたしたちの魂は岩のよう。



そこにあるのが当然だから、だれも気にしない。

でも、岩はそこにある。

たとえ、花々は風にふかれて散ってしまったとしても。



嵐がとおり過ぎていろんなものがなくなって、

はじめてそこにあったことに気がつくこともあるよ。



雨は一滴づつおちてくる。

かわいた大地をうるおして、

やがて川になって、

そして海になって、

そこに命がうまれたよ。



宇宙のはじまりは、とても小さかったよ。

でも、そこにはたくさんのものがつまってたよ。

だから、どんどんでっかくなって、

わたしたちも生まれたよ。





3・11・・・私たちは、自然の中で生まれ、自然とともに生き、

自然の成り行きで命さえも奪われていきます・・・。

自然と運命共同体であるという事実から目を背けるのではなく、

かといって、立ち向かうわけでもなく、

そういうことなのだ・・・とすべてを受け入れることも大切です。


同じようなことが起こったとき、

きっと、同じ過ちを繰り返したとしても、

それが悪いとか間違っているとかいうのでもなく、

教訓がいかされていないというのでもなく、

人は、自然と運命共同体であるという事実を受け入れる・・・。


奪われた命、のこされた命。

いろいろな思いが巡りますが、

きっと、命が感じたことはひとつ。

「自然とともに生きているんだ」ということ。


そして、その思いこそが、

すべてを乗り越え、今日を生きる糧となるのでは・・・と思うのです。




| こころのうた | 00:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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こころのうた  ツイッターのまとめ

lotus flower108 



昨日、ツイッターに思いつくまま「詩・・・のようなもの」を書いてみました。

それをまとめてみました。

どこかで、見たような聞いたようなことのあるフレーズもあるかも。

私も書きながら、どっかで聞いたことあるような・・・

とか思いながら書いたものもあるので(笑)



雨がふったあとには虹ができるよ。

心の雨がふったあとにも虹がかかるよ。


雨雲は、風とともにながれていくよ。

雨雲のむこうがわではお日様が笑ってるよ。


傘がなくても大丈夫。

お日様がかわかしてくれるから。


雨が泥をおとしてくれるよ。

涙が心の泥をおとしてくれるよ。


お日様だけだと枯れてしまうよ、草花も。

雨がふるから花が咲くよ。




嵐がとおりすぎたあと、何にものこってないのはね、

かみさまが新しい画用紙をくれたの。

「そこに未来の絵をかきなさい」って。


砂の上にかいた絵は、波がけしてゆくよ。

でもね、だから、なんどでも新しい絵がかけるよ。


どこでふる雨も、雨は雨。

どこで見るお日様も、お日様はお日様。

どこで見る月も、月は月。

どこで感じる風も、風は風。


わたしたちは同じ土からうまれたの。

だからね、かみさまから見ると、わたしたちは同じに見えるの。


三日月も半月も新月も、ほんとうはまんまるお月さま。


海の水がしおからいのは、かみさまの涙だから。

その涙で命はうまれたの。

だから涙を流すたびにかみさまを思い出してほしいの。




あるときは太陽になって、

あるときは雨になって、

あるときは風になって、

あるときは嵐になって、

あるときは吹雪になって、

わたしたちに必要なものをあたえたり、

気づかせてくれたりする・・・

それを「かみさま」ってよぶの。





捨て犬を見つけたらかわいそうって思って手を差し出すでしょ?

でも、その犬が手を噛んで逃げたら悲しくなるよね。

かみさまも同じだと思うの。


人を信じない犬は、差し出された手を噛んで逃げるでしょ?

かみさまを信じない人は、差し出された手を振りほどいて逃げるの、きっと。

それって悲しいね。





人形に「かみさま」というなまえをつけて拝んでも、

かみさまはそこにはいないの。





人形に「かみさま」というなまえをつけて「かみさま」を信じなさい、

という大人たちに、子供はこういうの。

「それは人形だよ」って。

大人たちは、頭にきて「違う。これはかみさまだ」って言うと、

子供たちは大人もかみさまも信じられなくなるよね・・・。




なにもしないでも、心臓は鼓動を打ってるでしょ?

息をしてるでしょ?

落ち込んだときも嬉しいときも心臓は動いてるでしょ?

死にたいくらい悲しいことがあっても、心臓は動いてるでしょ?

それを「生かされてる」っていうの。




「お金」は人がつくったもの。

かみさまがつくったものではないから、かみさまには見えないの。

お金持ちか貧乏か・・・なんてことは、

かみさまにはどうでもいいことなの。




かみさまには、かみさまがつくったものしか見えていないの。

だから、かみさまにお金を捧げてもかみさまには見えてないの。

かといって、かみさまがつくったものを捧げても意味がないとおもう。

かみさまには、何もささげなくていいのだと思う。きっと。





紙粘土でおもちゃを作って、友達にあげたとき、

友達がとても喜んで大切に遊んでくれたら嬉しいでしょ?

かみさまも同じだとおもう。

かみさまがつくった命を喜んで大切にしたら、

かみさまはそれを見て、とても喜ぶとおもう。



| こころのうた | 09:56 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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