善のまとめ
「善」「高い意識」をまとめると、
- その時その時に応じて、すべきことをする。
- すべての事象、出来事、人間関係は一つである。(分離していない)
- 大きな流れや視野でみる。(個人レベルではない)
- 安全である。
- 活かす。生きる。育てる。
- 欲望をコントロール出来る。
- 愛
逆に、「悪」「低い意識」をまとめると、
- すべきことをしない。
- すべての事象、出来事、人間関係は分離している。(2極性を持つ)
- 個人レベルの視野でみる。(視野が狭い、ひとりよがり)
- 危険、不安定である。
- 殺す。壊す。崩す。
- 欲望に振り回される。
- 恐れ
罪の意識や欲望が、どれほど残酷・残虐かをわかりやすく説明すると、
欲望を「壊すこと」にたとえて、段階で説明すると、
- 直感で壊す相手(対象物)を選ぶ
- 壊し方の情報収集
- 壊すための道具を手に取る
- 壊す相手(対象物)を捕まえる
- 一番有効な壊し方を意識する
- 楽しい壊し方の選択
- 壊し方をイメージする
- 実際に相手(対象物)を壊す(関係を壊す)
- 道具の使い方を吟味、反芻する
- 再度、壊すチャンスをうかがう
- 壊した理由を相手(対象物)のせいにする(責任転嫁)
- 壊した相手(対象物)が耐え苦しんでいるのを楽しむ
- 過去の破壊の清算
- 何かにとりつかれたように壊す(自分の意思ではない)
- 壊すこと自体の快感を得る
- 手当たりしだい壊す、破壊する
- 壊すことの喜びやヒントを得る
- 壊す事の罪の意識がない
- 壊すこと=生きる喜び、自分の人生そのもの
- 壊す事の正しさを認識する、破壊者としての自覚
- これ以上ない至福を壊す事によって得る
つまり、欲望がエスカレートすると、相手や自分の関係を傷つけたり壊すことで、
至福を得ることにつながります。
これは、本当に恐ろしいことです。
自分の境遇に不満が募ると、欲望が芽を出します。
誰の心の中にも欲望の種はあります。
種が芽を出した事に気がついたら、すぐに抜くことです。
ほうっておくと、芽はだんだんと成長して、やがて欲望の木となり、欲望の実をつけるでしょう。
欲望の実は地面におちると、腐って種になり、種はまた芽を出します。
一度、欲望から「至福の実」を得ると、善の意識に戻るのに時間がかかります。
上記の段階でいえば、
レベル9までなら、喧嘩でいえば相手と和解出来る状態です。
レベル10を超えると、相手を傷つけることによって終わります。
喧嘩でいえば、一方的に相手を傷つけて終わる状態です。
レベル10を超える状態が何度も続くと、(相手の忍耐強さにもよりますが)
相手と絶交、絶縁となっても仕方がないと言えるでしょう。
逆に「愛」が、どれほど素晴らしいかをわかりやすく説明すると、
- 直感で愛する相手(対象物)を選ぶ
- 愛し方の情報収集
- 愛するための道具を手に取る
- 相手(対象物)と向き合う
- 一番有効な愛し方を意識する
- 楽しい愛し方の選択
- 愛し方をイメージする
- 実際に相手(対象物)を愛する
- 道具の使い方を吟味、反芻する
- 再度、愛するチャンスをうかがう
- 愛した理由(対象物)を相手の存在に委ねる
- 愛するための試練
- 愛の清算
- 大きな視野で愛する
- 愛によって自由になる
- 新しい愛のために古い愛を壊す
- 愛のヒントを得る
- 愛することで罪の意識をなくす
- 愛すること=生きる喜び、人生そのもの
- 愛の正しさを認識する、 愛することの自覚
- これ以上ない至福を愛する事によって得る
愛によって至福を得ることは、生きる醍醐味といえるでしょう。
自分の境遇を素直に受け入れることによって、
愛が芽を出します。
誰の心の中にも愛の種はあります。
愛の種が芽を出したら、大切に育てることです。
愛の種は成長すると、やがて愛の木になり、愛の実をつけます。
愛の実は熟すと、周囲の人が喜んでその実を食べるでしょう。
そして、地面におちた種はやがて芽を出します。
一度「愛の実」を食べたら、「欲望の実」はまずくて食べれません。
愛から「至福の実」を得た相手(対象物)からは、一生離れないでしょう。
※捕捉: 夫婦愛は、レベル3が高い意識5とつながったレベル9です。
そして21の至福を得ることが出来れば、離婚することはありません。
恋愛は、レベル3が相手と向き合う4とつながったレベル17か19です。
欲望にしても愛にしても、対象物は人とは限りません。
趣味、仕事、スポーツ、ペット、家、車などいろいろな物にあてはめて参考にしてみてください。
新しいものを手に入れたり、新しい道を選びたい時や、何かを手に入れたいときに、
それが欲望による場合は、
人は、目の前にあるもの(人間関係)を壊したくなります。
目の前にあるものが障害物のように思えるからです。
ですから、何かが障害物のように思えるときは、
自分の欲望の芽が出ている証拠ですので、注意して、その芽を抜く事です。
| 哲学するヨハネ | 18:23 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑