前回の続きです。
18のカードは 月ですが、
終わりのない揉め事を表しています。
カードの絵は、大きな月と、二つの塔、向かい合っている二匹の犬、
それを見ているザリガニが描かれています。
思い上がったプライドを守るために言い争いが起こります。
邪心を持つ者は、言い争いを止めることをしないで、ただ傍観しています。
揉め事は改善されるわけでもなく止められるわけでもなく、
月夜(不吉を表します)に照らされ、永遠に続くと言わんばかりです。
つまり、
「単なるお互いのプライドをかけた言い争いは、解決のすべを持たない。
それこそが不幸の始まりである」ということを教えています。
プライドを捨てることで不幸事から逃れることが出来るということを明示しています。
19のカードは 太陽ですが、
生命の本質を表しています。
カードの絵は、太陽(生命を表す)の下に、腰布を巻いた二人の子供が描かれています。
子供の足元には黄金の石(人智を超えた賢さを表す)があります。
腰布を巻くことによって性別の見分けがつきにくいのですが、
かえって性別の違いを強調しています。
男女は外見は違いますが、内面で性別の違いを隠すことが出来るということを意味しています。
そうすることによって、対極にあるものがお互いを受け入れ干渉する事が出来るのです。
つまり、
「対極にあるものは外見は違っていても、高い意識を持ってその違いを隠せば、
お互いを受け入れる事が出来る。
それこそが、二面性(二極性)が対(一つになる、融合する)になろうとするという本質である」
ということを教えています。
「二面性(二極性)は、外見や性質が一見違うように見えても、
魂(神・霊)レベルに近づくと融合して一つになろうとする。」
それが生命の本質であるということです。
男と女、光と闇、善と悪、精神と肉体など、こういった対極にあるものは、
魂レベルで見ると、
反発するどころか、干渉しあって「一つになろうとしている」という事を意味しています。
また、一つになろうとしますが、完全に一つになることは出来ず、
分離されているということも暗示しています。
20のカードは 審判ですが、
復活によって高い意識に近づくことを表しています。
カードの絵の天使は、この世を超越した存在であり、神の導きを告げる者を意味しています。
天使の下には、天使の声に耳を傾ける墓から蘇った死者と、
その傍には無放備な老人(理性を表す)と女性(本能を表す)がいます。
絶望の淵からよみがえって、はじめて神の導きの声を意識すると言わんばかりです。
つまり、
「絶望は人生の終わりではなく、高い意識を持つきっかけとなる」ということを教えています。
21のカードは 世界ですが、
人生の本質を表しています。
カードの絵は、アーモンド型の植物の中にいる無放備な人が描かれています。
その四方を4体の生き物(この世を超越した存在)が囲んでいます。
この世を超越した母の子宮・体内で守られていると言わんばかりです。
つまり、
「人生そのものが、どんな事が起ころうとも大いなる存在に守られている」
ということを教えています。
それは、生死を超えて、どんな形になろうがいつまでも永遠に守られている、
ということを暗示しています。
また、完全に守られている状態は退屈である、とも暗示しています。
0のカードは 愚者ですが、
旅立ちを表しています。
カードの絵は、自由気ままに旅をする若者が描かれています。
こだわりのない服装、右足を犬にかまれていても気にしないほどの無頓着、
なのに黄金の冠(王、権力者を表わす)をかぶっているという、
訳のわからない人物として描かれています。
0は無を表しますので、
この若者の肉体はこの世に存在していないのです。
あるいは、物質世界から解脱した状態とも言えます。
つまり、
「魂の王となった時、人は目的も行く末もこだわりもない旅へおもむくのである」
ということを教えています。
また、「死」は終わりを意味していて、人生は一見すると愚かであるように思えても、
愚かであることを知ることによって、
「魂レベルにおいては最高位の存在となる」とも暗示しています。
このように、タロットカードの意味をひも解いていくと、
とても哲学的で深い意味を持っているのがわかります。
タロット占いになると、意味合いももっと広がりを持つのだと思います。
タロットカードには、いろいろな種類があるようですが、
マルセイユ版を参考にさせていただきました。
従来の意味合いとは違う解釈をしていると思われますが、
「人生とは、生きるとは、なぜ人は悩むのか」というような事を重点に置いて書いてます。
ご了承ください。